リンドの多趣味なブログ(仮)~ボウリングやらボイトレやら~

リンドが趣味を通じて感じた事を綴るブログ ボウリングとボイトレ、読書の話がメイン

出来る自分で期待に応えるか、出来ない自分で諦めるか

期待に応えるにしろ、諦めるにしろ自分で選択する

 

自分が出来ると信じている人は、期待を受けるとより一層力を発揮出来ます。

 

逆の人はどうでしょう?

自分には出来ないと思っている人は、期待がプレッシャーになり、精神的に疲れてしまいます。

 

しかし、ここで考えて欲しい事が1つ。

自分には出来ないと思っている人が

何故、期待に押しつぶされてしまうのか?

 

 

出来ないと思っている人は本当の意味で諦める方が楽

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自分には出来ないと思っている人が期待で押しつぶされる。

何か矛盾を感じませんか?

 

自分には出来ないと思いながらも、期待に応えようとする部分がありますよね?

少しだけ自分に期待をしています。

 

その僅かな自分への期待、責任感が自分を苦しめているのです。

 

期待に応えないという選択

 

本当に自分が出来ないと思っているのであれば、期待に応える事も出来ないと決めてしまえばいい。

 

『あなたの期待には応えません。』

自分の中で宣言してしまうのです。

 

『期待されたから応えなきゃ』

ではなく、

期待に応えるのも応えないのも自分で選択出来る事です。

 

期待で押しつぶされる位なら

期待に応えないという選択をとった方がいいのではないでしょうか?

 

他人の評価で生きない

 

自分には出来ないと思っている人が、期待に応えなきゃと思う理由の1つ。

『他人からの評価を気にしている』

 

これが人を苦しめる。

 

他人の評価を気にしすぎる=人生の主導権を他人に譲渡するようなもの。

 

人生の軸や基準が自分ではなく、他人になっています。

 

これでは苦しいのは当たり前。

他人の感情や見方はコントロール出来ませんから。

ブレブレの基準では上手くいきません。

 

軸は自分中心にしておきましょう。

 

自分に期待するのも諦める

 

苦しむのは、出来ないと思っている自分と、自分に対して僅かな期待を持つ自分がいるから。

 

ほんの少し期待が、やっぱり出来ないという自分を際立たせてしまう。

 

だったら素直に諦めちゃいましょう。

他人からの期待にも応えず、自分にも期待せず。

 

この考えではおそらく成長は出来ないでしょう。

それでも自分で選択した分、生き方に後悔は少なくなると思いますよ?

 

諦めの境地とは?

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諦めの境地について考えた事はありますか?

人の期待に応えるのを諦め、自分に期待するのも諦める。

 

すると何処にたどり着くでしょう?

きっと『ありのままの自分』だと思います。

 

期待しない、受けないのだから等身大の自分になります。

出来る事、出来ないこと。

したい事、したくない事。

今の自分が明確になるでしょう。

 

明確になった自分でまた選択する。

 

その選択の先に、本当の自分の生き方、あり方が見つかるのでは無いでしょうか?

 

最後に

 

今回の記事は、ある意味僕とは正反対の考え方です。

 

僕は今より遥かに成長したいし、

成長した先にどんな景色があるのかを楽しみに生きています。

 

しかし、僕のような考え方はどちらかというと少数派。

実際周りにも、自分には出来ないと思っている人が多いです。

 

そういった人に対して、

『やれば出来るよ』なんて言葉をかけても逆効果でしょう。

 

であれば、逆のアプローチ(とことん諦める)を試した方がいいのでは無いか?

そんな考えで書いてみました。

 

悩んでいる人の手助けになれば幸いです。

 

 

アプローチが違うだけで、

諦めきった先にも、成長を続けた先にも

最終的には『ありのまま』『あるがまま』の自分にたどり着くんじゃ無いかなー?とは考えています!

 

以上

『出来る自分で期待に応えるか、出来ない自分で諦めるか』

でした!

 

 

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ありがとうございました!

 


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